自分の知っていることや、取り組んでいることを「形」にするということ

なんだか長いタイトルとなりましたが、簡単に書くと「情報発信をする意味」のような感じです。
仕事柄、情報発信をすることを促すことが多いんですが。
思ったよりも敷居が高いみたいですね。
なので、少し思ったことをつらつらと書いてみて。
何かしらの発信をしたいなと思っている人への後押しになればなぁと思います。
ちなみに、「情報発信しようぜ!」というものではないので、気楽に読んでください。
双方向コミュニケーション
まず、情報発信をするうえでの障害と言えるのが、SNSの普及とも言えます。
それもそのはずで、今のインターネットは双方向のコミュニケーションが当たり前で、一方的に何かを伝えるという機会は減りました。
その結果、何らかの数字で自分の発信内容を評価されるようになりました。
それだけでなく、炎上と言われるように、なんらかの被害から身を守るという意味でも、大人しくしているのがある意味正解だからだと思います。
まぁSNSが普及する前から、大多数の目に触れる形で情報を公開するというのがインターネットなのですが。
反応速度は段違いだなと。
自分が大事にしている事やモノ、大切に思っているモノや人、考えといったものを否定される気もするので、これは気後れする理由としてはもっともです。
ただ、バズるという瞬間風速を除けば、よっぽどのことが無いと何かしらの被害につながることは少ないと思います。
少なくとも、自分はそういったものとは無縁ですw
結局は有名人(芸能人や知識人、政治家だけでなく、その界隈で有名で代表するような人など)でないと、そういった対象にはなりにくいとも言えます。
まぁ、コスパが悪いですからね。
この「有名」かどうかを図る手段が、SNSのフォロワー数だったり、いいね数だったり、再生回数だったり。
数字という形で判断されてしまいます。
そういう人たちは、この数字の実績が桁違いなので、話題になりやすいというのが実情でしょう。
特にそうでなければ、発信や投稿に対して、炎上の不安は少ないかなと。
それを怖がるよりは、発信を見てくれた人と直接のコミュニケーション手段と考える方がメリットは大きいのではないかと。
・・・コメントとかあんまりもらわない自分が書いても説得力はありませんがw
双方向のコミュニケーション手段が手軽に利用できるのに、自分が良いと思っているものを共有しないのは、もったいない気はします。
上を見てもしょうがない
炎上している人や、SNSで有名な人を先ほどあげた数値で考えると、「上」の人となります。
この「上」の人には、自分の発信することについての、知識や行動の面での先輩や先生のような人も含まれます。
発信に気後れする方に良く言われることの1つが、「私が発信したところで、「上の人」がいるし意味あるの?」というような事です。(「上の人」のところには、自分の憧れる人の名前でも入れてください。)
これについては「意味があります」としか言えません。
ターゲット像を見失っている
情報発信の元という話になりますが、なぜ発信をしたくなるかというと、自分が良いと思ったモノやことを他の人にも知ってもらいたいからでしょう。
それを手軽に行えるのが、SNSで。
個人が気軽に発信するので、情報のスピードという意味でも注目されやすい媒体であると言えます。
まぁ、ここらへんの話は今更なのでこれぐらいにして。
SNSに限らずですが、発信したくなるというのは、「知らない人に知ってもらいたい」という気持ちからなはずです。
もっと言うと、良いと思ったものや確信を持ったモノは、他の人とシェアしたくなるものだと思います。
例えば、家族でも友人といったオフラインの場でも、「これ良いよ」とか「これ知ってる?」みたいな会話はあるでしょう。
それを不特定多数を対象にしたものが、インターネットを使ったオンラインでの情報発信ということになります。
なので、その対象には「上の人」というのは存在しません。
そもそも、その「上の人」はすでに知っていることであれば、情報を仕入れる必要が無いわけです。
オフラインでも「知ってる!良いよね!」と言われれば、「だよねー!」という共感をしてお互いにワクワクするだけだと思います。
その程度です。
まぁその「上の人」に突っ込まれるとか、間違えてたら恥ずかしいという気持ちもあるんだとは思います。
ですが、基本的には数行前に書いた理由で気にされませんし。
逆に突っ込んでもらえたら、自分の成長につながりますし、その憧れている人とのつながりができることにもなります。
良い結果しか無いと思うんですけどね。
なので、ざっくりと「自分より知らない人」をターゲットに「元々」しているということは、忘れない方が良いですね。
もしすでに商品や製品、サービスを販売しているのであれば、それが良いと思っているから形にしたわけで。
その同業の「上の人」を気にしてたら形にしないでしょうし。
数字は多い方が良い?
次に「上の人」を判断するための基準となると書いた、数字についてですが。
これは正直気にする必要もないし、その数の差で発信を辞める理由は無いと思います。
まぁ、マネタイズの効率が悪いから・・・というのはアリですけども。
まず、今は興味でつながりを作れる時代で、それが数字に加算されています。
最初は家族や現実で交流のある人達だけだったものに、自分が興味のあることを投稿・発信している人との交流により、どんどん数字が増えていくでしょう。
数字が増えて良くわからなくなるから、興味の対象によってアカウントを分けたりするんだろうなと。
分けることによってアカウントに一貫性が出て、信頼性も高まりますし。
・・・と、少し脇にそれてしまいましたがー。
その数字は、興味のあることに取り組んでいる人数がネットになるということです。
例えば、実プレイヤー数30,000人のゲームであれば、30,000という数字以上は難しいでしょう。
メーカーやプレイヤーの努力次第で増えるかもしれませんが。
なので、結局はその界隈の人口に寄るんですよね。
関係のある界隈をつなぐことができれば、その分数字は増やしやすくなりますし。
年代や性別関係なく興味を持つことであれば、さらに増やしやすくなります。
また、数字は人数を表していると考えた場合。
学校で考えると、40は学校の教室にいる人数、200は1学年の人数、600~1,200は1校の人数と置き換えられます。(世代によって違うと思いますが。)
教室にいる人数だとあれですが、この人数の全員が知っている1人になるというのは、意外と大変なんじゃないかと思うわけです。
つまり、あんまり数字を気にする必要は無いんじゃないかなと思うわけです。
もちろん企業活動として行う場合は、分かりやすい数値目標として設定する場合はありますが。
その場合も対象となる商圏人数を考えないと、達成しにくいものになると思います。
自分に付く数字をモチベーションの維持に使う以外は、あんまり意味を感じていない私です。(最近はモチベーションにもしなくなりましたw)
入口は人それぞれ
「上を見てもしょうがない」の最後に、あなたが発信する意味についてです。
それは、同じモノでも、それを知る入口は人それぞれであるということです。
例えば、高校1年生のころの数学の先生は何言ってるかわからなくて数学が嫌いになったけど、2年生のときの先生はわかりやすくて数学が好きになった!・・・のような感じです。
この例の逆もあり得ます。
ここまで度々書いてきた「上の人」の発信では興味を持てなかったけど、「あなた」の発信で興味を持つ人がいます。
それは、内容を受け取った人が「上の人」との差を感じて遠く感じたものが、身近な「あなた」の内容だから近く感じるようになった、というようなものです。
また、説明や言葉遣いの違いもあるでしょう。
教科書や論文のような硬い文章や言葉使いに説得力を感じる人もいれば、しゃべり言葉のような文章の方が親しみやすく印象を良く感じる人もいます。
そして、入口も違えば出口も違います。
・自分が使っているものを紹介したい
・自分の製品を紹介したい
・自分に連絡が欲しい
など、情報を受け取ってくれた人に期待する行動も、人それぞれです。
なので、同じような内容だとしても、あなたが発信することに意味があります。
補足
・・・とは書きましたが、今は生成AIの発達により、基本的なことをそのまま発信するのはあんまり意味が無いかもしれません。
もちろん、AIが学習するWEBコンテンツとしての信用を得るために必要かもしれませんが。
実際に読む人からすると、どのサイトやブログも同じことばかり書いてある・・・と思われかねません。
なので、基本的な部分にこそ、自分自身の解釈などを入れ、「なぜ良いと思っているか?」を入れるようにすると違いを出せるかもしれませんね。
方法への思い込み
もう一つの気後れする理由として聞くのが。
例えば、「発信ていうと、Youtubeで生配信とかするんですよね?」とか「文章なんか書けません」というような反応です。
が、これは「あなた」に寄る、ということです。
もし私ぽんぞうがおしゃべり好きで、延々と話せるような人間だったら、ブログを書かずにVtuberになってたかもしれません。
話すことに比べたら、文章にする方が楽という理由でブログを書いています。
Youtubeに投稿を作る時も、基本はテロップのみですw
話すことが得意な人でも、一方的に話すことが得意な人もいれば、会話が得意な人もいます。
一方的に話すのが得意であれば、投稿動画という形が良いと思いますし。
会話が得意であれば、生配信やリモートミーティングが良いでしょう。
対面で会っても良いでしょうね。
なので、まずは自分が得意な方法で発信すれば良いと思います。
それを続けるうちに。
例えば、生配信で毎回同じことを話しているなと思ったら、その内容を簡単な箇条書きにして、テキスト投稿のできるSNSやブログへ気楽に投稿できるものが見つかります。
そうやって、文章で読む方が良い人に向けたアプローチを作り、生配信に来てもらうという方法もあります。
逆もしかりです。(私ぽんぞうはまったく喋ったことはありませんがw)
自分のやりやすい方法でやれば良いのです。
自分が良いと思っていれば良い
一応、今回はこれで最後の内容にしようと思います。
発信することに気後れすることで、良く聞くもう一つのことは「こんなことを伝えても、誰も興味ない」ということです。
その「誰も」って誰ですか?
その「誰も」が、興味を持つかどうか判断するのは、情報を受け取る「誰も」の人自身です。
あなたではありません。
価値を決めるという話で良く出ますが、決めるのは他の人の評価です。
例えば、あんぱんを初めて販売するとして。
あんぱんの最初の価格を決める時に、参考にあんぱんの相場を参考にする場合もあると思います。
大体100円で売られているけど、小豆にこだわってるから150円だな!
とか。(ざっくりすぎてすみません)
その相場とは、他の人があんぱんを買っても良いと考えている値段とも言えます。
もちろん、様々なこだわりや技術によって売価は考えるべきなので、あくまで参考価格ではありますが。
ただそういった場合にも、相場よりも明らかに高い500円だと、売り方を考えないと売れないでしょう。
広告のなかに差別化ポイントを入れるとか、実際に食べてくれた人にSNSに投稿してもらうなどですかね。
逆に、多少安い80円なら買ってもらえるかもしれませんが、20円とか安すぎても心配になって逆に売れにくいでしょう。
つまり、あんぱんの価値の基準は100円だと、作った人ではない他の人が評価しているのです。
まぁ、あんぱんが登場してからの歴史もあるとは思いますが、それまであんぱんに携わってきた人たちが評価したとも捉えられますし。
なので、情報を受取る人自身がどのような価値を感じるか、ということです。
近年Youtubeなどで起業家として発信される大体の方の根本は、価値を感じてもらうために最大限努力する、というスタンスだと思います。
もう一点あって、人は「同じ」ではないということです。
育ってきた環境や、仕事、兄弟の人数、住んでいる地域など、似ていることは合っても全く同じではありません。
「こんなこと」と思っていることが、他の人には新発見だったり、困りごとの解決手段だったりするわけです。
知らない人にとっては、知っているだけで凄い人です。
凄い人というと、ここまで書いてきた「上の人」が思い浮かぶだけかもしれませんが。
それはすでにその人の事を知っている人の数が多いというだけです。(そのために努力された結果なので、それは凄いことですが、あえてこう書かせていただきました。)
子供の頃は、自分よりもなんでもできて、何でも知っているように思えた、親や大人を凄いと思ったことがあるかもしれません。
それと同じことが、知っているあなたと、知らない人の関係にあります。
なので、あなたにとっては当然なことが、他の人にとっては重要な情報なのです。
「こんなこと」と侮ってはいけません。
責任は伴うけど
しかし、発信する内容に対する責任は発生します。
それを重く感じる方もいるかもしれませんが、これは乗り越えるしかありません。
とはいえ、自分が良いと本当に思って入れば、そんなに難しくはありません。
・なぜ良いと思っているのか
・良いと思っている根拠とその証拠は?
ということに説明できるようにするだけです。
ある意味では当然に思っているからこそ、難しいところかもしれませんが。
言語化することで、より良いモノだと思うことができるようにもなります。
もし、悪い反応が帰ってきた場合は、そういう視点もあるんだと、勉強の機会にしてしまえば良いと思います。
他の人の視点を知れるチャンスということですね。
もちろん、単なる悪意かどうかという判断は必要ですが、過剰に反応する必要はありません。
まぁ、思い込みではなく本当に良いと思ってなければ、大変かもしれませんが。
3年目ですし
情報発信というと少し堅苦しいので、タイトルは「自分のやってることを形にする」というものにしました。
発信したいんだけど・・・という人の後押しができればと思います。
この記事を書こうと思ったきっかけが、このブログのアクセスを集めている記事です。
アクセス数が多いわけではないんですが、備忘録として始めた初期に投稿していた、WordPressで使用するコードの記事が未だにアクセスを集めています。
内容は、そこまで特殊なものでもなく、調べればもっと実績のある人が書いている記事もあります。
それでも未だにアクセスを集めていて。
最近はコードに関する記事を投稿していないので、なんでかなぁと考えていました。
そんな時に仕事で情報発信のコンテンツを作ることを考える機会があり。
ある意味、ブログの記事という形にしたからだ、という結論に達した感じです。
このブログの場合は、発信とか考えずに自分の備忘録だったので、棚からぼた餅でしたがw
難しく考えすぎず、気軽に発信してみたらいかがでしょうか?
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