【読書記録】ザイム真理教(著者:森永卓郎)|一般の感覚
一月ほど前に、「書いてはいけない」を読んで記事を投稿しました。
が、少し森永節が物足りなくなった感もあり、一つ前の「ザイム真理教」も読んでみることにしました。
自分がここで記事にする必要もないくらい、話題となった本ですが。
せっかくなので思ったことを書いて行きます。
ザイム真理教とは?
某解散したカルト宗教団体を確実に意識している本のタイトルですが。
一度は聞いたことはあるかもしれません。
膨れ上がる日本の借金の対策として打ち出されている「財政均衡主義」。
これを推し進めるのが、財務省です。
それにより起こってしまっていることを、経済アナリストである著者の森永さんが解説しています。
実態がカルト宗教のようになってしまっているため、「ザイム真理教」とよんでいます。
カルト宗教の要素を本文中の言葉をかりると。
信者の生活を破壊すると同時に、教祖や教団幹部だけが太っていく・・・(以下略)
第2章 宗教とカルトの違い P.56
宗教なので、提示するものは教義による安心や希望と、同じことを信じる仲間の提供です。(ざっくりです)
それを利用して、他者の権利を侵害して不当な利益を得ているかどうかが、カルト宗教とそうでないものの差であると。
実際、本の中でも語られていますが、ビジネスでもこのような形はつくられています。
今の日本で考えれば、品物やサービスとして提供できるものはほとんど変わりがありません。
どこで差をつけるかと言うと、ブランドを始めとする評判だったり、競合との差別化といったもので。
その中の一つに、企業理念や経営理念への共感というのもあります。
商品のブランディングだけでなく、企業としてのブランディングも行うことで、企業の扱う製品・サービスの全体の信用を得ることを目的とします。
この記事をお読みの方にも、そのようなものが商品や品物、サービスなどにかかわらず1つはあると思います。
〇〇だから安心!のような。
でも、その企業と顧客の間にはWin-Winな関係が築かれています。
とまぁ、自分自身も事業について考えることが日々ありますが、「宗教っぽいなぁ」と仕事のことなのに良く思います。
しかし、LTVという指標もある通りで、顧客の生活を破壊するようなことは考えません。
むしろ、利益でより顧客に還元する方法を考えたりします。
なので、この本で書かれていることが本当であれば、「ザイム真理教」という名称はわかりやすいネーミングだなと。
自分は専門家でもなんでもないので、この本の内容についてはどうこう言えませんが。
書かれている仕組みについては、どうこう書いてみます。
一般人の肌感覚
財政均衡主義が指示され、理解されやすい理由はなんだろうなと思いながら読み進めてましたが。
この本の中で書かれている、森永さんと立憲民主党の長妻昭氏の一幕でぼんやりと分かった気がします。
長妻氏は「森永さんの理論は間違っているとは思わないんだけど、何となく腑に落ちないんだよね」と言われて、遠回しに否定されてしまった。
第3章 事実と異なる神話を作る P.76
これを、森永さんは財務省の布教活動の成果としますが。
個人的には「何となく腑に落ちない」というキーワードが引っかかり、少しの間考えてました。
このやり取りの一幕の直前で触れられていたのが、MMT(現代貨幣理論)です。
以前にMMT論者の方の動画を拝見し、あんまり良い印象がなかったので。
「えー!?」という感じでした。
が、この本で森永さんが書いている、MMTの理論にも関係する通貨発行益の解説を読んだら、「なるほど」とも思ってしまいました。
ざっくりと書くと、「自国通貨を発行できるのだから、国債を日本銀行に買い取ってもらった時点で、借金が消滅している」というものです。
しかも、「国債を発行しているのは政府だから、国債を日本銀行に売って利益を得ているようなものである」とも。
この仕組みについては、正直「そうなんだ」とし書けないんですけども。
ただ、国債=借金と考えると(考えなくても基本的にはそうなんですが)、利益を生み出す前提の借金であれば資産になるという感覚がなければ、これは理解しにくいんじゃないかなと。
一般では借金=悪という捉え方をする人の方が多いとは思いますし。
また、この話を財政均衡主義を比較すると、なおさら理解しにくいのではないかと。
ざっくりと、財政均衡主義は税収でやりくりし、赤字国債を出さないことです。
つまり収入の中で生活し、余計な消費で借金を増やさないという、一般家庭が目指す感覚に近いものです。
しかし、通貨発行益を利用する場合は、借金を増やして生活することになり、火計が火の車・・・というのを連想してしまうんだろうなと。
ある意味、今は注目を集めるためにセンセーショナルな言葉が必要ですが。
それに伴う説明責任を果たさなければ、理解を得ることができないという、当たり前の結論と話す人の責任というのと同じかなと。
なので、この本で森永さんがしているような、多くの人が理解できるような説明と、それを届ける努力をしなければ伝わらないですね。
まさに自分がMMTに感じていたことで、この本を読んだことが少しMMTを見直すきっかけとなりました。
一般人の肌感覚と書きましたが。
マーケティングっぽく言えば、対象とする人に伝わるように徹底的に考えるペルソナやターゲティングの結果、生み出されるものと同じようなものだなと。
だから、「腑に落ちない」んだなと。
模範
リーダーなどの上に立つ人に求められる資質の一つとして、率先垂範というのがあります。
先頭に立って、人の模範になることを意味する四字熟語です。
ザイム真理教の「教祖と教団幹部だけが太っていく」の内容が、第6章で説明されていますが。
この章を読み進めて、ある意味日本の組織のトップに当たるであろう、中央官庁の中で強力な権力となりうる財務省の組織が、他の企業を含めた組織に対する率先垂範となるのだろうか?
と、疑問を持ってしまいました。
もちろん、内容の真偽については検証してませんが、天下りなどの言葉を聞くと、まぁあるんだろうなと思ってしまいます。
そもそも、官庁で働く公務員は誰かに頼まれてなるわけではなく、自ら望んで試験を受け、公務員になったのだと思います。
公務員の仕事は、基本的には社会福祉の増進による国民への寄与が根本だと思います。
もちろん、一般的な仕事よりは責任も重く大変な仕事をされているとは思います。
それに見合った報酬や退職金は受け取れて当然だとも思います。
ただ、それはあくまで見合った額で、天下りは含まれていないでしょう。
そもそも、その天下りの資金源は税金でしょうし。
そうじゃないとしても、そう思われる立場の人が、そのような行動を取るのはどうかなぁと。
その分を日本社会に還元できていれば、もう少し何か変わっていたかもしれませんしね。
どこから考えるべきか
あまり経済には強い方ではありませんし、中央官庁の内情とかも知らないので。
この本の内容を全て間に受けるつもりはありませんが。
お金に関する教育と経済に関する興味を育成しないというのが、一つの原因なのかなぁと。
日本の金融教育の少なさが問題になることはありますが、話題になる止まりだとも思います。
「ザイム真理教」の布教が始まっているとしたら、物心が付く前からということになりますねぇ。
このように考え始めると、色々と止まらなくなる本ですが。
そもそも、「反財務省」というスタンスを、国民に選ばれた政治家で、その中から指名された総理大臣が取らないといけないというのが、良くわかりませんね。
かといって、ワンマン総理大臣で財政が引っ掻き回されるのもあれですが。
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