【読書記録】「発達障害」と言いたがる人たち(著者:香山リカ)|興味深いけど思ってたのと違う

本を読み漁るようになり、一時期から書いてあることの関連性で次の本へつなぐような読み方をしていました。

なので、興味があって買ったものの、読めていない本が見事に積読しています。

一つのテーマがある程度終わったので、積読の中から選んだ1冊が今回の本。

「「発達障害」と言いたがる人たち」です。

自分の身の回りにも、医者から発達障害の診断を受けた人が何人かいます。

定期的に病院に通ったり、工夫をして生活をしたりと。

その努力する姿や、支えているご家族を身近で見ていて頭が下がる思いです。

が、この本のタイトルの通りの人もいます。

この本で書かれている悩んでいると言うよりも、発達障害のせいにして開き直っている印象も受けるぐらいなんですが。

もちろん、病院は未受診。

そういった人たちが、どのように考えてそうなってるのかなぁと、その答えが得られるかと思って読み始めましたが。

内容は、発達障害を取り巻いていた状況についての本でした。

興味深く考えを巡らせることはできましたが、思ってたのとは違ったかな。

2018年前後

この本が出版されたのは、2018年と裏には書かれています。

この記事を書いているのが2024年なので、状況は変わっているとは思いますが。

発達障害を取り巻く診療の難しさなどの問題と、発達障害を扱う世間の問題について分かりやすくまとめられています。

著者の香山リカさん自身が精神科医なので、どちらかというと医療世界の話が多いでしょうか。

と言っても、難しい言葉は少なく、一般的な情報誌からの引用も多いので、内容は理解しやすいです。

自分自身は専門家でもなんでもないので、これらの内容について細かく取り上げることはしませんが。

内容から思ったことをつらつらと書いて行きます。

多様性と注目

この本の中で印象に残ったのは、最後の最後に出てくる一文でした。

「何者かでなければならない」「たとえ”障害”と診断されてもいいから、特別な自分でいたい」という彼らと彼らを取り巻くいまの社会の”自分さがし願望”

6章 発達障害はどこへ向かうのかー私達は、どう向き合い、どう考え、どう対処すればよいか P.203

自分がこの本を読もうと思ったきっかけとなった周りの人の事を考えると。

引用部分の前半のような思いを抱えているように感じます。

その周りの人達のことを、自分を含め認めている人たちも承認欲求とまでは言いませんが。

自分が話題の中心にいたいとか、注目を集めることに集中しているような気がします。

子どものころの、「悪そうなのがかっこいい」というようなものの延長線かなとも思ったんですが。

今は良い意味で、そういった個性のようなものは、個性として受け入れられてしまいます。

つまり、特別な何かにはなりにくくなっているということです。

多様性が叫ばれるようになり、受け入れられるようになると。

それまでは目立っていた(注目を集められていた)ことが、そうではなくなることに。

それに、多様性の尊重により個人個人の興味による注意の分散が起きれば。

その人自身か扱う内容に興味がなければ、注目も集めづらくもなります。

しかも、今はそういった注目や評判というものが、SNSなどで見える化されてしまいますし。

それまで注目を集めることができていた人たちは、自分に価値が無くなってしまったと思うんだろうなと。

でも、そう簡単に注目を集める材料は出てこないので。

メディアで取り上げられる、発達障害のチェックリストを受けてみて、「そうかも!」と思うのかなと。

「ぽい」と言いながら、実際に診断されるのは嫌みたいで病院にはいかないんですがw

あとは、多様性を追求する中で言われるのは個性の尊重ですかね。

これが引用文の後半に繋がる部分で、自分らしさや自分の好みが重視されるあまり。

それらと求められることとの違いから、本当の自分を探す「自分探し」をすることに。

大切にしたい「特別な自分」はどんなか?ということなんでしょう。

今は答えを探す時代でもあるので、より見えづらくなっているかもしれません。

なので、自分らしさを表す、好きなことが無いとかで劣等感を抱きやすい時代なのかもしれません。

しかし、自分を見つけるには、時間や取り組む量が必要だったりします。

その労力をかけるよりは、注目を集められてしかも同情をかえるかもしれないパワーワードとして、求めるのかなぁと。

ある意味では、メディアという最先端の中で見つけた、自分を表す言葉・・・という感じなんでしょうか。

冒頭で書いた通り、実際に診断を受けて頑張っている人を見ているので。

そういった人たちと比較すると・・・うーん・・・と思ってしまいます。

安心につながることもあるけど

とはいえ、それが全て悪いかというと。

不安で不安でしょうがなくて、「そうかも!」と思うことで安心できるなら良いんじゃないかなとも思います。

そうなると、別の障害かもしれませんが・・・

なので「そうかも!」で済ませるよりはちゃんと診療を受ける方が良いとも思いますが。

情報の扱いというのは気をつけないといけないなと。

というのも、この本の157ページの中頃くらいから、「レビー小体認知症」について講演されている方の話が出てくるんですが。

その後に、公演した診断を受ける患者さんが増えるそうなのです。

つまり、情報を受け取った専門医でさえ、近々で耳にした情報に左右されてしまいかねないということです。

であれば、特に何の情報もない素人がその情報を受け取ったら、不安になるのは当然で。

その不安を解消できる言葉や方法がすっと入ってくれば、それに寄り添うものでしょう。

「そんなことは無い」と思いながらも、気になってしまう場合もあります。

これらの気持ちの動きを利用したビジネスの存在も、この本の中では取り上げられています。

AIが普及したことで、情報の正しさを確かめる必要性が高まっていますが。

信じるまえに少し疑って調べてみたり、どうしても気になるなら、ちゃんと専門家に相談するという習慣が必要ですね。

これまでに読んできた本で

もしこの本を、これまでに読んで来た本の前に読んでいたら、衝撃を受けていたかもしれませんが。

読みながら、「まぁ、そうだろうな」と思う自分がいました。

あ、診断方法とかの詳細な部分については、「へー!」と面白く読ませていただきましたが。

岡田斗司夫さんや、橘玲さんの本を読んでいると、ツールとして使われて当然だよなぁと思いました。

岡田斗司夫さんの本の中で書いてあった事を踏まえれば。

今は答えを考えなくても、ネットから探すことができるので。

自分に起きている問題について、考え方や手順を変えるというプロセスを踏みにくいのかもしれません。

ネットから見つけたものは、一般的なものがほとんどでしょう。

それを自分の状況にアレンジする必要が大体あると思うんですが。

それが難しいか面倒なので、端的に言い表せるものを選ぶのかなと。

また、途中で「子どもの頃の〜」と書きましたが。

これを考えている時に、「骨折したクラスのヒーロー」を思い出し。

橘玲さんの、今は「成熟の必要がない」という文を思い出しました。

生活習慣が変わり、技術が進展することで寿命が伸び。

多くの情報があふれるようになったことで、多様性を求める社会となり。

その結果、多くの病気や障害は付き合っていく個性のようになったと思います。

骨折は自分の生活が不便になるので対処すべき問題ですが。

ギプスを巻いて登校すると、クラスメイトが心配し色々と手伝ってくれます。

なので、骨折をしたことが問題というよりも、骨折したことで注目を集めることができてしまうわけです。

本当に困っていたり、日々努力されている方々に対しては思っていませんが。

香山さんの言う、「何者かでなければならない」「たとえ”障害”と診断されてもいいから、特別な自分でいたい」という自分探しをしている人たちには、やはり同じ事を思ってしまいます。

が、それが共同体の一員としての行動を取るために成熟する必要性が薄くなっているのであれば、ある意味では当然だとも思いますし。

「ぽい」と思う人が多くなるのも頷けて、そういった人たちは(解決方法はあるにもかかわらず)困っているように感じているため、その気持ちを利用したビジネスが成り立つんだなぁと。

自分に対する真摯さというものも、必要だなぁと思いました。

精神科医への感謝

と、ほとんど自分の思ったことや考えたことになってしまいましたが。

発達障害を通すという、普段と違う視点から社会を見れる本なので、興味深く読むことができました。

香山さんは「発達障害の入門書ではない」と書かれてますが、一般人の理解には十分だとも思いました。

ただまぁ、診断をくださなければならない医者という立場で。

心や精神を扱う精神科医の方々が、どの様に考えて診察されているかが垣間見えたので。

そこには感謝しか生まれませんでした。

読んで良かったなぁと思います。