生成AIとの付き合い方が変わった話②|「クリエイティブな活動」を取り戻す。

2024年10月26日

前回は生成AIについて思うところを書き。

人間がやるべき事とAIに任せるものを分けるのが、AIの利活用につながる事についても書きました。

そして、「人間が力を注ぐべきところはどこか?」という問いで、今回の記事につなげました。

その問いを考えるにあたって、AIの文脈で大体見かける「クリエイティブ」という言葉を整理したいと思います。

クリエイティブな活動とは?

英語が世界の公用語になってアレルギーが減ったんでしょうか。

横文字がそのまま使われることが多くなり。

実際にその言葉が意味するところを把握できそうで把握できてないということが増えた気がしなくもないおじさんがです。

なので、言葉を定義することの大切さを実感してます。はい。

まぁインターネットで世界中の情報が入ってくる中で、その言葉一つ一つを訳すにふさわしい日本語を探したり、作ったりするのは手間でしょうし。

言葉探しをしているうちに、その言葉が使われなくなるという可能性があります。

と、話がそれました。

AI、特に生成AIの情報を集めていると、大体「クリエイティブな活動」という言葉が出てきます。

文字通り受け止めると、「創作などで何かを生み出したり作り出す行動」という芸術の側面が強いように感じますが。

生成AIの文脈だと、もう少し大きい意味合いで「クリエイティブな活動」が使われています。

画像を作成したり文章を生成したりという、芸術的な側面の強い、文字通り「クリエイティブな活動」として捉えやすいものもありますが。

人間同士や人間とAIなどの、コミュニケーションやコラボレーションのネタを生成AIに考えてもらうといった、企画のようなアイデアを考えるものも、「クリエイティブな活動」としてまだわかりやすいですかね。

ほかにも、考える問題や課題の発見や明確化をすること、その問題や課題への解決策を考えたり探したりし、その概要を深堀りして意思決定をすることも「クリエイティブな活動」と言われます。

なので、創作や表現をするための活動だけでなく、方向性を決めたり何かを決めたりという、脳を働かせて考えるような活動も含まれています。

つまり、AI活用で考える「クリエイティブな活動」とは、「行う価値の高い生産性を高めるための活動」と言えます

「創作や表現はどこ行った?」と思ったかもしれませんが。

自分自身を表現したり創作するということは、自分自身が行う価値を感じている活動と言えるので。

この定義の中に含まれているとします。

もう少しまとめると、「人間が価値を感じ、または価値を作ることができる、生産性を高めるための活動」とします。

AIに関連する情報で、「クリエイティブ」という言葉を見たら、この定義で把握しておくと情報がスッと入ります。

「本来」するべき「クリエイティブな活動」

次に考えたいのが、「『クリエイティブな活動』を人間とAIが一緒にやるとは、どういうことか?」ですが。

これを言い換えると、「『クリエイティブな活動』を人間とAIが一緒にやるにあたって、人間が力を注ぐべきところはどこか?」と前回の記事の問いに繋がります。

AIと違い私達人間には限界があるので、そのような活動を続けることができません。

また、疲れてくると、思考能力や判断能力にも影響が出ます。

なので私達の場合には、どこに力を集中させるかを明確にすることが、最大のパフォーマンスに繋がります。

実際、「クリエイティブな活動」というと、聞こえは良いですが。

そこに至るまでには地道な作業を積み重ねる必要があります。

例えば、このブログもそうですが、こういった文章は思いつきだけでは書けません。

思いついたことや記事にしたいことの裏付けとなる資料や本を集めたり。

それを読んで自分の考えをまとめたり。

そこから筋書きや下書きを作り、文章としての流れを作り。

清書して誤字脱字や表現のチェックをしたりします。

この中での「クリエイティブな活動」と言えるものは。

・裏付けとなる資料や本の選択
・自分の考えをまとめ、テーマを作ること
・清書時の自分らしい文章表現

と言えます。それ以外のこと。

・資料集めや、資料の要約を作って整理する
・テーマに沿った文章の流れを作る
・文章の肉付け
・清書後の誤字チェック

これらは「クリエイティブな活動」に至るための地道な作業です。

ほとんどの「クリエイティブな活動」と言われるものは、「本来」のクリエイティブにつながる活動の他に。

無意識のうちに、あるいはやらないと行けないと思い込んでいる作業が一連の流れとして認識されています。

夕飯を作ることで言うと、料理をして美味しい夕飯にすることが「本来」の作り出す成果なんですが。

当日の天気や気分、家族の体調などを踏まえて献立を考えたり、味付けのことを考えたり。

料理をすること以外に、考えておいた方が良い事があります。

仕事でもプライベートでも、なにかの問題に直面した時にも。

最善の解決策を選択して実行することが問題解決の成果ですが、そのためにデータを分析したり、解決に導いてくれそうな選択肢を考えたり。

実際の判断のタイミングまでに、十分に疲れてしまう状態になってしまいます。

このように、「本来」力を割きたいところと、そんなに労力をかけたくないけど労力がかかってしまう作業により、「クリエイティブな活動」は成り立っているのです。

そのため、「クリエイティブな活動」を行った結果、思ったような成果や評判が得られない・・・

やることが面倒になる・・・

という悪循環になるのでしょう。

AIは作業を分担するツール

そんなに労力をかけたくないけど労力がかかってしまう作業により、「クリエイティブな活動」の成果が落ちてしまいます。

なぜなら、クリエイティブな事というのは、達成感ややりがいを感じる分、脳や体の力を集中して使うため、疲労を感じやすいのです。

そのため、前準備で疲れている状態だと、自分では気が付かないとしても、感性や感覚や考える力が鈍った状態で重要な活動に取り組む事になり

うまくいかなかったり、思ったような成果を得られなかったり。

少し時間をおいたら、もっと良い方法が見つかったりするわけです。

なので、労力がかかってしまう作業に対して、「それ、本当にやりたいこと?」という問いかけをしましょう。

「いいえ!」であれば、それは知的作業が得意なAIにまかせてしまえば良いのです。

自分は仕事で会社の様々なデータを扱い、分析してそのインサイトから事業の方向性を決めるということをやっています。

その分析やインサイトを得ること自体は楽しいのですが。

データの収集や整理といった、前準備は苦痛です。イライラしますw

もちろん、どの様なデータをどこから集めるかとか、必要なデータ量などを決めることはしますが。

その集まったデータを、見やすいように表にしたりグラフにしたりというのがあんまり好きではないのです。

しかし整理をしないで見た目だけで判断してしまうと、データの見逃しや表現されているはずの意味を見落とす事になります。

なので、嫌でもやっているわけですが。

このデータの整理やちょっとした特徴の抽出を、AIにやってもらえば良いわけです。

その結果出力されたデータを、SQLやRに入れて操作しても良いですし。

加工自体もAIにお願いしてしまう事もできますね。

実際に、自分たちがやらなければいけないことは、そのデータの何を根拠にして、どの様な方向に進むのかを選択し決定することです。

その前準備となる面倒な作業をAIにやってもらい、「本来」力を割きたい分析のための力を残しておくことができるのです。

AIじゃなくても組織としてやってきたことではある

しかしながら、手間を掛けないと認めてくれない人もいます。

「そんな楽をして良いものができるはずがない。」という感じでしょうか。

また、自分自身が楽をすることに罪悪感を感じる・・・とまでは言わなくても、「これで良いのか」と不安になる人もいると思います。

と言っても、実際は組織に属する人間としてそのように振る舞ってきているはずです。

自分の職責の範囲とか、知っていることの範囲であれば、自分自身の力で解決できますが。

その範囲を離れたこと、例えば、法律や税務といった専門知識が必要な作業であったり、職人が持つ専門的な技術が必要な作業などは、その専門家に頼っているはずです。

そのように専門家に頼っている間に、自分の範囲の物事を進めています。

この専門家の部分にAIが利用できるようになっていると考えれば良いのです。

専門家は営業時間があったり、そもそも同じ人間は2人いないので、物理的に空いていないこともありますが。

AIであれば、コチラから投げかければいつでも出力を返してくれます。

しかも、幅広い知識を学習していて忘れることが無いため。

ある意味では専門家よりも柔軟かもしれません。

ハルシネーションには気をつけなければいけませんが。

これが、職責などの個人の範囲のさらに内側。

個人の作業単位ごとに、手伝ってくれるツールがAIです。

余談のようになりますが、AIとの関係を少し考えるのに、AIが今のように普及していない時のことを考えてみます。

そのような時でも成果を上げていた人は、仕組みとして人を頼ることは裁量の分散など組織づくりをしっかり行うことで実施したいました。

それに加え、自分が判断するなどの、力を向けるべき部分を見極めているので。

日常の些細な選択になることすら減らすように努力していました。

アップル創業者のスティーブ・ジョブズが同じTシャツを用意して、何を着るか悩まなくて良いようにしていたというのは有名な話です。

もしスティーブ・ジョブズが自分の気に入る服を勝手に用意してくれるシステムを持っていたとしたら、Tシャツ以外の服も来ていたかもしれません。

自分が買ってきた服を学習し、その日の気温や天気に合わせた似合う服を提案してくれるAIがいれば、何も考えずにそれを来ていくこともできます。

このように、「本来」力を割くべき「クリエイティブな活動」に可能な限り余力を残し、成果を生み出しやすくしつつも、私達の行動を豊かにする効果がAIの利活用で得られます。

個人の生産性が重要な今だからこそ

「組織として行えているのであれば、良いのではないか?」と思うかもしれませんが。

今の時代は変化が早く、動きが鈍くなりがちな組織としての対応だと、流れに乗り遅れる可能性があります。

また、個が重要視されている時代でもあるので、個人の力や生産性を高めることが、組織としても重要視されています。

副業やリスキリングが推奨されているのは、ただ単に個人の収入を上げるだけでなく。

能力や技能を持っている人が、様々な業界や団体に参加することにつながるので。

社会全体の活性化の役割を担う人材が増えることが期待されている、とも考えられます。

さらに日本は超高齢化社会なので、将来的に労働力が確実に減ります。

なので、一人ひとりの生産性を上げるツールの導入は、喫緊の課題です。

そのためのツールとして、政府を上げて日本社会への実装が始まっているのがAIです。

AIを利活用することで、「本来」労力を傾ける事に力を集中させ、「クリエイティブな活動」を最大限効果的に行うことができるようになります。

個人個人が生産性の高い活動を効率的に行えるようになり。

複数の場所で、その個人が能力を発揮できるようにもなるでしょう。

そのためのポイントが、前回の記事のまとめでも書いた「知的処理を人間が行った方が良い(もしくは、人間じゃないとできない)ことと、人間じゃなくても良い(=AIに任せる)ものに分けること」ですが。

これを今回の記事のことでもう少し詳しく書くと。

・AIは入力に対して学習した内容から推論、探索をして出力することはできるが、今のところ入力を作り出すことはできない。
→つまり、起点にはまだなれない

・出力したとしても、それを実行するための「カラダ」がまだない。
→つまり、まとめたり要約したり提案したりといった、知的活動でフォローする役割である

ということが、現状のAIにできることと言えます。

まだ、生成AIがヒットしたChatGPTの初期のことを考えると。

もし自己推論ができるようになったとしても、それが有効なものになるのはリリースしてから少し時間がかかると思います。

これを引き合いに出すのもあれですが・・・近未来SF映画で主人公をサポートするAIエージェントも、ほとんどが主人公の依頼を起点に情報を処理している、という印象ですし。

これから技術が発展してく中で、AIができることは増えていくのは間違いありません。

その中で、「人間がやること」と「AIにやってもらうこと」を明確に分けられるようになることが、効果的なAIの活用方法であると、自分は考えています。

企業で大規模に導入したとしても使うのが個人であれば、これは変わらないでしょう。

でなければ、残業の時の単なる話し相手程度でしか無いと思いますし。

人間らしさのためのツール

情報化社会になったことで、やることや対応することが増え。

作業が増えていく中で、何かしらの成果を生み出したり、判断したりということを迅速に行わなければならなくなっています。

そのため、本来集中して行いたい事も、妥協で済ませてしまっていることも多いかもしれません。

人間とAIが役割分担をすることで、「本来」人間が集中したかった「クリエイティブな活動」に集中することができ、成果の意味でもやりがいの意味でも、喜びにつながりやすいと思うのです。

時代の流れの速さの中に置いてきた、人間らしさを取り戻すためのツールとも言えるでしょうか。

そのためには、AIを利活用する。つまり役割分担を考えなければなりませんが。

その準備を私達はもうできていると考えています。

・・・と、また長くなってしまったので。こちらはまた次回にしようと思います。

あ、自分はこの記事を作成するのにAIを使わず、最低限の下書きで書いておりますw