【読書記録】世界は経営でできている(著者:岩尾俊兵)|ミクロを変えることでマクロが変わるかも

「飲み残しを放置する夫は経営が下手?」

世界は経営でできている 帯より

自分の体調の変化もあり、長く続けられそうな漢方の本でも読もうかと本屋に足を運んだ私の目に飛び込んできたのが、上記引用の一言。

今回の本「世界は経営でできている」は、気になりながらもずーっとスルーしていました。

スルーしていた理由はただ一つ。

ハマるのがわかっていたからです。

しかし、読んで良かったなぁと思いつつ、問題解決思考と言われる男だからこそのわかりやすさというか。

世の中で起きる不条理や不合理は解決したい「問題」であって、その方法として経営の考え方を使うという。

それを日常生活の「あるある」をネタにして面白おかしく教えてくれて。

最後は世界平和につながりそうな内容でした。

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経営とは

「経営」の本なので、まずはその定義を把握しておきます。

本来の経営は「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を作り上げること」だ。

はじめに:日常は経営でできている P.8

経営と聞くと、企業を思いうかべると思います。

なので、利益追求のための方法論や考え方のようなイメージがスッとくるでしょう。

しかし本書内でも述べられている通り、利益を目的としない家庭や学校といった対象にも経営という言葉が使われていたのも事実です。

そう考えると、利益の追求が経営の本質ではないと思います。

そもそも企業の存在理由も、利益の追求ではありません。

最初はそうかもしれませんが、企業のホームページやSNSのプロフィールを見ると、「〇〇で貢献」や「SDGsを推進!」などの文言があります。

これらのパーパスやビジョン、企業理念というものが、要するに会社の存在理由です。

この掲げたものが、企業と企業に集まった人間が協力し、社会に貢献し豊かにするための価値を創造する「究極の目的」ということになります。

で、共同体というのは人間の集まりなので。

企業に限らず、人が集まっていれば「価値創造という究極の目的に向か」うことが必要で。

だから、経営が必要だということです。

究極の目的

なので、日常の生活の問題は、経営的間違いによって起きていることを事例によって説明してくれています。

ざっくりと羅列すると。

・本質(本来のニーズ)を見誤る
・部分的な合理性を追求している
・短期的な利益を優先する
・手段にとらわれて目的を見失う

各事例で解説はされてるので細かく書いたらもっとありますが、主なものはこんな感じかと。

日常で起こる不条理や不合理というものは、「究極の目的の実現を妨げる対立」です。

この対立を解消する方法が、「中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直」すことです。

経営の定義と経営的間違いの関係を探ってみると、「究極の目的」を見失い、中間目標や手段に集中してしまうことで、不条理や不合理が起きている、ということがわかります。

「究極の目的」とは「他者と自分を同時に幸せにする」ための「価値創造」をすることです。

この「価値創造」の過程で「対立」が起きてしまう。

「究極の目的」が一致していれば、「対立」を解消する手段は、相手と協力していくことであることは、誰もが経験していると思います。

一致していなければ、これが、議論の平行線のようなもので。

自分だけが幸せになるとか、自分の意見を押し通す、というものになってしまうのだなぁと。

そして、「究極の目的」の本質を見誤ると、すれ違いという「対立」にもつながるんだなと。

それをさらにややこしくしてるのが、「価値」に対する考え方のようです。

価値有限思考

「対立」が起こるのは、何かを奪い合うからで。

奪い合う対象に「価値」を感じるから、「対立」するわけです。

なぜ奪い合うことになるかというと、「価値」が有限であると考えているからと、本書は説明しています。

これは書きながら私が考えた例ですが、「価値」として奪い合うもので、分かりやすいのはお金ですかね。

現状、お金は何かの対価として支払われます。

お金は手に入れた額以上にはなりません。(投資に回すとか、そういうのは置いといてください)

お金の金額もそうですが、手に入れるための資源(体力や時間)にも限りがあります。

なので、お金をたくさん得るために、シフトや立場を奪い合うわけです。

しかし、お金が価値を持つのは、欲しいものを買ったり、美味しいものを食べたり、行きたいところへ行ったり。

私達が幸せを感じるのは、お金を使うことで手に入る状態である、ということです。

なので、お金はどんなに頑張っても手段でしかなく、目的にはなり得ないのです。

価値を生み出すために使うもの(この場合だと「お金」)を手に入れることが、いつしか目的になりもてはやされているのが、資本主義社会かもしれません。

まぁ年収とか数字の力は強いですからね。

その奪い合いにより、貧困や格差といった不条理や不合理を生み出しているかもしれません。

あ、本書では「貧困も経営である」と扱われてます。

このように、限りのあるモノに「価値」を見出すことで、その先の幸せをもたらす「状態」という「究極の目的」を見失ってしまいます。

しかし、「価値」が「状態」にあるのであれば、それは無限に目指すことができます。

それが本書の各事例で説明されていることだと、私は捉えています。

考え方を変えるような話っぽいので難しいかもしれませんが、それが証明されているのが人類史であると本書では説明しています。

地球という資源は有限だ。

<中略>

人類は地球の資源から何らかの機能を取り出し、別の資源から取り出した機能と組み合わせ、人間の幸せにつながる(=価値ある)新たな機能を創り出してきた。

これこそが、人類の発展の歴史だった。

おわりに:人生は経営でできている P.200

どのように発展して来たかというよりも、どのような機能の組み合わせにより発展してきたか。

もちろん当時の事はわかりませんが、その組み合わせに試行錯誤して来た偉人達は、少なからず社会や人間の幸せを念頭に置いていたように感じます。

どの分野でもです。

歴史から学ぶというのは、幸せの連鎖を学ぶことでもあるんだなと。

そんなことを思いました。

人間に価値がある

「金銭よりも人材の不足が経営に危機をもたらす」という実感も広がっている。

おわりに:人生は経営でできている P.196

金銭や機械も重要ではあるが、それらは人間がいないと活用できない。

おわりに:人生は経営でできている P.198

少子高齢化社会の日本においては特にですが、単純な人手不足が慢性的になっています。

そのためにIT技術の進化等で効率化や省人化というものが進められています。

しかし、それ以前に人間の価値を再認識することが大事だと思うのです。

人が多い頃は単純に奪い合う関係も多かったかもしれません。

しかし、今は争っている場合ではなく、共に幸せの価値創造を行う「人材」にならなければ、立ち行かなくなって来ています。

そうしなければ、せっかく作り出されたものを「活用できな」くなります。

共に価値創造を行うパートナーであり、その価値の恩恵を受けさらなる価値を生み出してくのは、やはり人間同士の協力であると思います。

そのためには、ある意味では「幸せに暮らす」という究極の目的が一致しやすい夫婦や家族という社会構成の最小単位から、経営を実践してくのが良いかもしれません。

そのような家庭が増えれば、その地域が幸せな雰囲気になり・・・という良い流れが見えるかもしれません。

もちろん、AIやWEB3といった便利な技術でも浸透には時間がかかるので、考え方や思考はもっと時間がかかるでしょう。

しかし、ミクロが変われば少しずつマクロにも影響があると思います。

まずは自分の人生を「経営」することから。

「令和冷笑系文体」ながら、社会に対する熱い思いに感化された本でした。

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