物事を良く捉えるということ

記事を書くときには、基本的には自分の学びになったことを書いているんですがー。
ふと、普段の会話の中でも学びになることがあるなぁと。
そんな普通の事を思ってたら、記事にできるなぁとも思ったわけです。
なので、ツラツラと書いてみることにしました。
今回は「物事を良く捉える」ということについて。
物事は「過去」の積み重ねで「今」起きる
下書き無しで書いてみているので、いきなり思いついた見出しが重めにw
悩みや不安というものは、「今」の自分の感情や思考に出てくるものです。
ただ、悩みや不安がなぜ湧くかということを考えると。
「過去」の自分の言動によって積み重ねてきたものが、「今」という時期に出ているだけだと思います。
つまり、良い事も悪い事も自分が積み重ねるという行動を起こさなければ、起きないわけです。
動くということは摩擦がどこかしらで起きます。
自然の摂理でもありますよね。
自分がなにかしたことで、良いと思う人もいれば、悪いと思う人もいます。
付いてきてくれる人もいれば、離れていく人もいます。
これらのことは、自分自身を良くしようと思って行動すると、やはり起こります。
正しく努力し積み重ねることができていればいるほど、起こるような気もします。
そして、人間は安全のために悪い出来事に対して、敏感になるようにできています。
そのため、悩みや不安の種となるような言動の方が、良い事よりも残ってしまい。
「なんで悪いことが続くんだろう」と思うわけです。
ピンチとチャンス
「そういう風に考える必要ないよ!」とか「そう思ったってしょうがないよ!」と言っても。
個人差はあるとは言え、悪いことを記憶することで生き延びてきているのが人類なので。
あまり響かないし、「分かってくれない!」という反応的な態度になってしまうものだとも思います。
ここで思い出した言葉があって。
私が若い頃に師事していお師匠さんに当たる方が言ってくれた一言。
「チャンスは偶然ではなく必然だ」という事です。
チャンスは偶然やってくるんじゃなくて、その道に関わる様々な事を正しく努力して来た人のところにやってくる。
という意味合いです。
なので、後はそれを掴み取るかどうかだけ。
そのために、いろんな準備をしておくんだと。
正しい努力かどうかを精査し続けなければならないという話もありますが、一旦置いときます。
チャンスというのは良いことなので。
良いことは過去の積み重ねの結果、自分の目の前に訪れるんだなと。
20代前半の当時は「そういうもんなんだ」という感じでしたが。
中年になった今では、その言葉の真実味を噛み締めている毎日でございます。はい。
他方で、「ピンチはチャンス」という言葉もあります。
ピンチが訪れたら、なにかを改善するチャンスだったり、状況を別の視点から見ることでチャンスに変える。
というような意味合いですが。
ここはあえて、ピンチ=チャンスと捉えると。
ピンチも偶然ではなく、必然としてやってくることになります。
(念の為補足ですが、積み重ねの流れなので、自分の力の及ぶ範囲での話です。天災や戦争など個人ではどうしようもない出来事でのピンチは、ここでは範囲外です。)
「乗り越えられない壁はない」という言葉も念頭におくと。
乗り越えられる準備が整ったからこそ、ピンチが自分の前に訪れた。
というように捉えることもできます。
どのように対処するかは人それぞれですが、対処する力が備わっているとも考えられます。
そう考えると、ピンチに思える悪い出来事も、自分の経験のためには受け入れやすくなるなと。
さらなる鍛錬とも
ではなぜピンチになるのかと考えを進めてみます。
自分自身ではどうしようもないように思えるから、ピンチという言葉になります。
真正面から捉えたら、やはり大きく感じる問題や課題であるとも言えます。
ということは、その出来事は自分に足りない事を教えてくれているとも言えます。
つまり学びの機会であるということです。
人に頼ることが苦手であれば、人に頼ることで越えたり迂回路が見つかる壁かもしれません。
時間が解決してくれる問題のため、受容し忍耐力を高めることが必要なのかもしれません。
自分自身の人として足りないところ、積み重ねることができていなかったところを、気づかせてくれるのかもしれません。
また、チャンスとの違いと考えると、起きた出来事が自分が望んでいるかどうかという程度の違いであるとも考えられます。
チャンスは、自分の願いや理想に近づけるから良い事だと捉えることができるのであって、プラスから入れるとは言えやはり苦労がつきまといます。
ピンチは逆で、自分が願ってもないし理想でもないから、まずは正確に物事を捉えるというマイナスから入ってさらに苦労する可能性が高く感じるものです。
なので、入口が違うだけ・・・と簡単に書いてしまいますが。
そういうもんだということです。
捉え方の問題
なので、どちらにしても良い経験になるはずのもので、それを掴み取ったり乗り越えることができるかどうかは、捉え方の問題であると言えます。
チャンスであっても、尻込みして失敗を不安に思ってしまえば、それはピンチと変わらないでしょう。
ピンチであっても、その出来事の原因を改善する機会と捉えられれば、チャンスです。
そして、ピンチもチャンスもちゃんと行動を積み重ね、知られることで起こるわけです。
そもそも行動を起こさない人、小さくても流れを作らない人には、何も起こらないものです。
であれば、「行動」を促される現代において。
自分がしっかりと行動できていて、周囲や社会に関与できている事の証明として、ピンチやチャンスがあり。
さらに、自分を高めるための出来事であって、「今」の自分だから起こっていると考えれば。
少しは出来事を楽しめるかなぁと。
そんな事を思いました。
自分を変えられる機会として、ポジティブに物事を捉えるとはこういうことでもありますかね。
自分の身に起きることは行動の結果
このような事を会話で伝えたんですが。
「悪いことは重なるものですね・・・」というような受け取り方だったんですがー。
自分が聞いてる限りでは、そんなに悪い状態でもないなぁと思ったのです。
なので、「チャンス」という言葉がひらめき、そこから色々とつなげて言ったわけです。
そしたら、「自己肯定感が高まりました!」のように言ってもらえました。
良いこともあれば悪いこともあるし、全てはトレードオフの関係にあります。
良い事だと思っていても、なにかを犠牲にしているということは良くあります。
逆に、犠牲になることで良いことが起きていることもあります。
そもそも行動していなければ、積み重ねているものを誰かが知ることもありませんし。
ピンチもチャンスもないんですよね。
働いてなくて「お金がピンチ!」といってもそりゃそうですよと。
自分の事を正しく理解して、物事を良く捉えられるように。
心を整えて行きたいものですね。
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