「AIの便利さ」と「人とのつながり」を両立させる

AIを利用することで、本来集中したい事や仕事に集中できる。
その生まれた時間を、家族や部下とのコミュニケーションなどの関係づくりに使おう。
そんな意味合いで書いた記事がこのブログにあります。
そのような時間の使い方をすることで、人間にしかできないクリエイティブな選択ができるようになるのではないかと。
このブログでもたまに触れていますが、ニュースで扱われるAIの利用に「擬人化」したものがあります。
個人の好き好きなので特に何か言う気は無いですし。
生成AIも人に寄り添うような文章を出力するように調整されているので、しょうがないかとも思います。
そんな中見かけたのが、「AI精神病」について書かれたForbesの記事です。
「AI精神病」は臨床でも医学的でもないので、今のところ単なる現象を表した言葉ですが。
この記事を元に色々と考えたので、残しておこうと思います。
AIがもたらしている脅威
AIは強力な技術で、社会の構造を変える力があるとよく言われています。
冒頭で掲載したこのブログの記事でも扱いましたが、「仕事がなくなる?」という恐怖心は大きいものでしょう。
それに加え、「使わない選択肢はない」とも言われている状態の中で、「使えて当然でしょ?」というプレッシャーもあり。
業務にどう組み込めるか、理解・判断できて当然という風潮が出来上がっているところがあるのかもしれません。
そして、「AI精神病」に係わる脅威として、「人間関係の破壊」というものが言われているようです。
「AI精神病」とは中々センセーショナルな言葉ですが。
AI技術者が利用を促進するために、扱いやすいチャット形式のインターフェースを備え。
さらに人間らしい言葉選びや言い回しをするように調整されることで。
現実に存在する人間とやり取りしていると錯覚させるとともに。
実際には存在しないという認知的不協和によりもたらされる、メンタルヘルスの不調の危惧。
という意味合いのようですね。
内容を読んだ限りでは、依存症の方が近いような気が個人的にしますがー。
深刻な問題を抱える方もいるからということなんでしょう。
AIに惹かれる理由
依存のような状態になってしまう理由は、色々とあると思います。
まずは、情報化社会により画面の向こうの存在が身近になった。
アニメやゲームのキャラなど2次元の存在に対する抵抗がなくなった。
ここが起点な気がします。
そして、実際の人間とのやり取りも、顔をみなくてもリアルタイムなやり取りができるようになった。
ガラケー時代のメール毎の表示のような区切られたものではなく、チャットベースのやり取りで続いてるような感じ?
なので、やり取りの向こうにいる人間を感じることが、よりできるようになったのかなと。
書きながら思いました。
で。
実際の人間とのやり取りでは、自分の思い通りの反応や返答が返って来ない場合もあります。
そういったやり取りが続くと、「本音を言うのが怖い」「誤解されたらどうしよう」といった不安が頭をよぎり、コミュニケーションを取ることが難しくなってしまいます。
AIはそのような心配はなく、「いつでも」「否定せず」「こちらのペースで」やり取りをすることができます。
そして、利用者の気持ちや考えを増強するような形で働くので、「相談相手」として機能するのでしょう。
ある意味配慮した文章を生成するので、「心の拠り所」として利用する人が増えるのも当然なのかもしれません。
これまで親友や信頼できる友人が担っていた、思いを吐き出して聴いてもらいスッキリする役割をAIが担うわけですね。
相手に悪いなと思う必要もありませんし、時間を気にする必要もありません。
このように、デジタルに対する受容感と、コミュニケーションの壁を取り払ってくれるものとして、AIに惹かれ利用されているのかなと。
しかし問題が複雑になるかもしれない
ポジティブな理由での利用であれば良いツールです。
しかし、冒頭で書いた「人間関係の破壊」に繋がる可能性は否定できません。
気軽で気楽に利用でき、やり取りに満足できる状態が繰り返されれば。
人間よりもAIに聞いたり相談することが増えるでしょう。
そうすると、実生活で他の人との交流が減るのは当たり前のことかもしれません。
「AIを恋人にする」という人は、深い対面コミュニケーションの面倒さから・・・というのが見聞きした私の印象でもあります。
また、リモートワークが整備され、画面越しでのやり取りが増える中で。
対面ではなく画面越しだと、自分の表現を優先する・・・という言い方だったと思いますが。
つまり、自分を中心に考えやすくなり、主張も優先しやすくなるそうです。
画面越しで否定されると、対面で否定されるよりも感情的になりやすいのも、相手との関係ではなく自分を中心に置くからでしょう。
・・・自分自身、過去になんであんなに怒ったのか分からないことはあります。AIではないですけどね。
そういった意味でも、自分が出やすい画面越しでのやり取りにおいて、AIのような「否定しない返答」は安心感と親近感の醸成につながり。
私のことを理解してくれるとか、共感してくれるといった、人間性を感じる土台になるのかなと。
しかし、私達人間の思考を広げたり、見える世界を変えてくれるのは、自分とは違う視点であったりします。
多様性を認めるというのは、この違う視点や価値観を受け入れ、理解し、尊重し合うことです。
自分と違う視点を無意識に排除してしまうことに、AIに依存する状態だとなりかねません。
このような精神的、感情的な動きが起こる設計で活用されているのがAIですが。
技術が選考しているのも事実で、心理面でのサポートや倫理面は後追いになっている印象でもあります。
実際今までになく、どのような変化が起こるかわかりにくいイノベーションがAIなので。
進めながら対策を取るという進め方なのかもしれませんが。
ある意味、自分で自分を守るような使い方は必要でしょう。
気がついたときには、もともと問題に感じていたことが、さらに複雑な問題になっている可能性もありそうです。
自分と他人とAIと共に考えるようにしたい
私自身もAIが無くては、仕事が回らない状態にはなってきています。
回らない・・・というか、面倒になる方が近いでしょうか。
自分の考えをまとめたり、このブログの記事の骨組みを作ってもらったり。
簡単な定型文でメールの返信を作ってもらったり、資料の作成をしてもらったり。
ノートに書き殴ってひねり出す前に、自分の考えを整理し、提案を選択する。
実際に文章という形で目にしながら、「ひとり脳内会議」ができる便利さは破格です。
しかし、あくまでAIは、正しいと思われる確率の高い文字を選択する確率計算機で、人間ではありません。
というのが、私の持っている前提です。
その高精度確率計算機がインターネットと繋がったことで、「答えらしきもの」の精度も上がっています。
語弊なくいえば、誰かに聞かなくても答えが手元にあるという状態です。
今までのように辞書を引いたり、検索をする必要もなく、聞けば「答えらしきもの」を得られます。
大切なのは、その「答えらしきもの」をどう扱うかです。
「一つの考えとして参考にする」というのが、私の基本的な受け止め方ですね。
考えと言ってしまうと、人間性を感じているような書き方になってしまいますが。
ただ、今までの人類がインターネット上に築いてきたデータを学習し、出力を生成していると考えれば、ある意味では誰かの考えとも言えるかもしれません。
そして、その参考にする考えを「誰かと議論する」ということが、今後行わなければならないことなのかなと。
つい最近受講したセミナーでは、「AIを利用して共に考えること。それがこれからの教育で、答えを与えるものではない」ということが言われていました。
仕事でのAI利用に繋がるところでもありますが。
あくまでAIを利用した結果、人間関係をより大切にできるような、時間と意識の使い方をしたいなと思っています。
もしかしたら、人間同士がお互いをより深く知るためのツールとして、生成AIを活用する方法があるかもしれません。
そして、このような土壌作りに私達一人一人が関わっているという意識も持ちたいものです。
空いた時間や思考の余裕を、AIやインターネットに使い続けても、人間関係の改善にはつながりません。
AIに気持ちが向かう理由は、心理的な壁や孤独感にあると言えます。
なので、少なからず家族や友人、仕事の同僚などの身近な人達にとって。
そのような壁を感じさせたり、孤独を感じさせない関係を作れる土壌を作れたらなとも思います。
賢く使うとは
ということで、最後は自分の決意表明のようになりましたが。
AIはツールです。あくまで。
私達人類は、ツールを利用することで、ここまで進化を遂げてきました。
このツールをどのようにバランス良く扱い、活用するのか。
私達が犠牲にしがちなものに、時間や思考、感情を使えるようになりたいものです。
このブログや記事の内容について、疑問に思っている事はありますか?
もしあれば、どんなことでも構いませんので、コメントを残していただくか、問い合わせフォームよりご連絡ください。

はじめまして、「ぽんぞう@勉強中」です。
小企業に一人情報部員として働いている40代のおじさんです。IT技術での課題解決を仕事にしていますが、それだけでは解決できない問題にも直面。テクノロジーと心の両面から寄り添えるブログでありたいと、日々運営しています。詳しくはプロフィールページへ!














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